【「釈迦涅槃図絵解き」~お釈迦さま最後の旅~】    


   岡澤恭子(絵解き師・長野市長谷寺住職夫人)

  「釈迦涅槃図」をご覧になったことがありますか?   一枚の大きな絵の中央に、金色のお釈迦さまが横たわっています。   その周りを、たくさんの人たちが取り囲んでいます。両手をつき出して泣く人。うつむいて袖で涙をぬぐう人。絵の下の方に目を移せば、大きな白い象から昆虫たちまで、たくさんの生き物がお別れに集まっています。
   「釈迦涅槃図」は、お釈迦さまがお亡くなりになる時の光景を描いた絵です。現存最古の涅槃図である高野山金剛峯寺の涅槃図(1086年・国宝)をはじめとして、長谷川等伯など有名な絵師による素晴らしい釈迦涅槃図が数多く残っています。
    私は、その涅槃図の「絵解き」をする絵解き師です。「絵解き」とは、絵に何が描かれているのか、そのメッセージを分かりやすく説き語ること。古くはインドに始まり、平安時代には日本に入って来ました。絵解きには様々な種類がありますが、最も広く愛されてきた絵解きのひとつが、この「釈迦涅槃図」の絵解きです。
   「釈迦涅槃図」の絵解きは、日本中で、お釈迦さまの命日である2月15日(月遅れの3月15日)に、毎年繰り返し語られてきました。私たち日本人は、毎年毎年この絵解きを聞きながら、何を学び、受け取ってきたのでしょう。
   お釈迦さまが亡くなる原因を作ってしまい、願き悲しむチュンダに、お釈迦さまは語りかけます。「チュンダ、私が死んでゆくのは、私がこの世に生まれたからである。自分を責めてはいけないよ」。ずっとお釈迦さまの一番近くにいて、「私も連れていって下さい」と泣き伏すアーナンダに、お釈迦さまは静かにおっしゃいます。「全てのものは必ず滅ぶ。それがこの世の掟なのだよ。だからこそ、自分の旅の終わるその時まで、精一杯よく生きよ」と。    「釈迦涅槃図」の絵解きが説いてきたものは、「死」です。涅槃図のお釈迦さまは、死を超越した仏さまではなく、私たち誰もが避けては通れない「死」を、いわば最後のご説法として私たちに見せているのです。涅槃図の絵解きが、古くから繰り返し伝えてきたものは、「死の学び」です。死を学ぶことは、生を考えることでもあります。
   お釈迦さまでさえ亡くなった。私たちはみんないつか死んでゆく。ならばこの死をどう迎えればよいのか。お釈迦さまのように、近しい人々に囲まれ、伝えるべきことは全て伝え、鳥獣や草木にまで嘆かれて、穏やかに死んでゆくためには、限りのある生をどう生きたらよいのか。
   涅槃図の絵解きを、幼い頃から年に一度繰り返し繰り返し聞きながら、人は日常の中で死を学び、いずれ訪れる死に対する心の準備、「死のシミュレーション」をしていたのではないでしょうか。